「ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話」は現時点のコンピュータの限界を暗示している?

ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話 - ホームページを作る人のネタ帳を読んで

単に 液晶(?)ディスプレイvs本棚 で本棚が勝ったってことだよな。
大きくみて視野内で1/4のディスプレイに対し、眼球・首を動かすだけで絵と文字でサマライズされた情報が一挙に入ってくる本棚だもん。
この子が眼球に直接像を結ぶタイプのディスプレイの常用者だと感動できたかどうかは疑問

例えば http://wiredvision.jp/archives/200011/2000113001.htmlのような網膜投影型 や 眼に入れても痛くない(らしい)コンタクトレンズ型ディスプレイ - Engadget 日本版のようなコンタクト型 だと、ユーザの視野の全てを奪うことが出来る。
あ、ドーム型やHMDもあったな。アレだと疲れそうな気がするんだがナレなのかな?

強調現実以前に紙とか本棚とか倒してほしいものだ。
でもプラスαが無いと普通の人は使わないかもしれないが、引きこもりが買ってくれる?

よく考えるとセカンドライフの商品陳列の方法がダサイから紀伊国屋の本棚が賞賛されてるだけじゃないのか?

追記 2008/02/27 14:19:31: 本を買う人がいるって事は、ディスプレイは本にも勝ててないか。(あ、それは別の問題で…)