日本へのシルクロード

日本の養蚕って女工哀史のイメージもあってはるか昔からあるものかと思ったら中国から輸入が主だったんだ。

日本にはすでに弥生時代に絹の製法は伝わっており、律令制では納税のための絹織物の生産が盛んになっていたが、品質は中国絹にはるかに及ばず、また戦乱のために生産そのものが衰退した(室町時代前期には21ヶ国でしか生産されていなかったとする記録がある)。このため日本の上流階級は常に中国絹を珍重し、これが日中貿易の原動力となっていた。

明代にはポルトガルを支え(もしかして絹がなかったら鉄砲もない?)

明代に日本との貿易が禁止されたため、倭寇などが中国沿岸を荒らしまわり、この頃東アジアに来航したポルトガル人は日中間で絹貿易を仲介して巨利を博した。

そうかー、フカヒレスープは着物の原材料と物々交換だったんだな。

俵物(たわらもの)とは、江戸時代に対清(中国)貿易向けに輸出された煎海鼠(いりなまこ/いりこ)・乾鮑(干鮑(ほしあわび))・鱶鰭(ふかひれ)の海産物(乾物)のこと。俵に詰められて輸出された事から、…いずれも中華料理の高級食材であり、清国国内での需要が高く日本産の輸入が増大していた。一方、日本国内では生糸や漢方薬などを入手するために金・銀・銅の流出が深刻な問題になっていた。

巨額の負債をかえすことになった米将軍吉宗によって貿易不均衡を解消するために国内産業となっていく。

幕府の8代将軍徳川吉宗貿易赤字是正のために天領・諸藩を問わずに生産を奨励し、江戸時代中期には日本絹は中国絹と遜色がなくなった。

それで戦前までを支える重要な産業になる。

幕末には人工的に温度や湿度を管理して蚕を効率的に飼育しようとする温暖育が試みられるようになったが、勘と経験による不安定さを払拭できなかった。中村善右衛門は蘭方医の体温計をヒントに蚕当計(寒暖計の一種)を発明し、初めて温度・湿度を正確に管理する温暖育が可能になった。なお、天領の時代、梁川の生糸は江戸幕府指定品だった。

温暖育と合理的な人工交配による養蚕業の効率化で大規模経営化が進んだ伊達郡一帯の養蚕業では、蚕種業(蚕の人工交配や卵の売買)、養蚕業(養蚕と繭の出荷)、製糸業などの分業化が進み、豪農が誕生し、各地から集まる買い付け人のための関連産業(旅館、娯楽施設)なども発展した。

学問の体系もしっかりしていたのか、このエピソードとかは「代数」と「幾何」が合わさるような感じを受ける。

江戸時代後半には、さまざまな養蚕技術書がまとめられて、広く養蚕農家に普及し、品質向上に寄与している。また、養蚕研究と相まって、民間の学問や算術も盛んになった。但馬国養父郡(現兵庫県養父市)の養蚕研究家だった上垣守国は、但馬国での養蚕業発展のために毎年のように信達地方を訪れて研究し、その成果を「養蚕秘録」としてまとめた。養蚕秘録は養蚕指導書として広く普及し、シーボルトも帰国する際に持ち帰り、ヨーロッパでフランス語やイタリア語にも翻訳された。こうしてヨーロッパに紹介された養蚕技術書はフランスのパスツール研究所でもテキストとして使用され、特に交配技術は遺伝学研究の貴重な資料になったと言われる。

だからこそナイロンが必要だったのか。

女性のストッキング用として使われたのが始まり。石炭と水と空気から作られ、鋼鉄よりも強く、クモの糸より細い、というのが当時のキャッチフレーズだった。

裏がとれていないけどひょっとするとナイロンによって養蚕業が壊滅的な打撃を受けて世界恐慌へ…なんてことはないだろう。

1920年代前半に既に農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。しかし農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生。また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化によるソ連の世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の他の生産も過剰になっていった。

まあ、そんなこんなで日本の養蚕業は衰退する。

第二次世界大戦で日本、中国、ベトナムなど東アジア諸国との貿易が途絶えたため、欧米では絹の価格が高騰した。このためナイロン、スフなど人造繊維の使用が盛んになった。戦後、日本の絹生産は衰退し、現在は主に中国から輸入に頼っている。1998年の統計では、日本は世界第5位の生産高ではあるが、中国・インド・ブラジルの上位3ヶ国で全世界の生産の9割を占め、4位ウズベキスタンや日本を大きく引き離している。

で本日発見したのが、蚕に蜘蛛の糸を吐かせるというもの。

蚕に蜘蛛糸を吐かせること。蜘蛛糸は、魅力的な繊維であるのに、量産が難しく利用されていない。量産出来ない主な理由は、蜘蛛が肉食でも生きた餌しか食べず、共食いするので、大量飼育が困難なためである。また、1匹から連続して採れる蜘蛛糸の量は多くなく、どの蜘蛛糸を出糸するかは蜘蛛の都合によるので、特定の糸だけの量産が難しいためである。…繭中の横糸タンパク質含量を10%程度まで増やすことに成功した。また、これまで報告の例がなかった卵のう糸の遺伝子構造を明らかにし、この遺伝子を蚕のゲノムDNAへ転移する実験を行いつつある。

最終的には蜘蛛の糸は防護服に使われる繊維・ケブラーの3倍の強度があるらしいので蚕で防弾チョッキが…という夢が見れるみたい。

ええとですね、「工芸品」という番組(ディスカバリーチャンネルをご存じない方はなんじゃこりゃなタイトルですが)で「絹」についてやっていたんです。絹の歴史とかなんとか。で、タイの絹製品の話になって「こんなんあります」みたいな形で紹介されてました。カメラの前でデモンストレーションをして、実際に38口径を撃ち込んでいました。感じとしてはサープラスショップにあるフェイクの防弾チョッキ風。紺色のベストの中に数センチの厚さに束ねられたシルクが入っていました。見事弾丸を止めていました(ディスカバリーチャンネルに限ってはヤラセはないと信じたい)。
 番組によると中世モンゴル兵も絹を束ねて鎧に使っていたそうです。…98年、タイの工科大学の博士が軍と警察の求めに応じて作ったそうです。タイ北部で作られる絹糸を様々な方向から織り上げ、25層に重ね合わせて作るとの事。11口径から38口径まで耐弾性能を持ち、映像では確かに貫通はしていませんでした。
 及びお詫びと訂正です。「モンゴルでは鎧として使っていた」は間違いです。正しくは「兵士の下着として使われていた」です。絹は衝撃に強く、衛生的であり、矢を防ぐ意味で使われた、との事です。時代は漢代の物が残されています

タイでは防弾チョッキを絹で作っているんだから、これが蜘蛛の糸になったらどうなるんだろう。

でも蜘蛛の糸って農業じゃなくて化学工業的に作ることできなかったのかな?(できないのかな?)

人工合成したクモ糸タンパク質の大量生産技術を開発し、クモ糸の世界初実用化に向けバイオ ベンチャーの起業を進めてきました。

なんか、羊から蜘蛛の糸ってのもあるし。
単にバイオベンチャーネタなのかな。蜘蛛の糸軌道エレベータ作れるぐらい、つまりカーボンナノチューブの糸と同じぐらい強度があるなら夢があるんだけど…宇宙に登るための手段が「蜘蛛の糸」…ちょっとブラックジョーク系だな。
絹がナイロンに負けたのって結局コストだろうし。

さすがに「衣食住」の一つであるだけあって奥が深い。