シンプルと感じているのは自分だけの可能性
シンプルと感じているのは自分だけの可能性があるってことか
自分の小脳を「オプティマイズ」して、物理離れした「シンプルな環境」を充分リアルと感じられるようになる人は必ず一定数いる(そういう人は、明らかにlispersに多い!)。しかしそれが多数を占めることはないだろう。もしそうなら、未だにQWERTYキーボードが生き残っているはずがない。
パワーステアリングの出現後もハンドルの操舵角が変化しないのと同じで、小脳でオプティマイズされたものを捨てたく無くなくなっているんだろうな。まあ、操作ミスの遊びのためかもしれないけど。
学習するコストと学習しなおすコストは違うのかもしれない。
例えばキーボードを肯定したとしても、IME(FEP)を使い続けるのはなぜだろう?
文字コード直接入力とは言わないけど、T-CODEに代表されるhttp://t.pos.to/tc/methods.htmlのような漢字直接入力の方が大脳-小脳直結ということか。
Lispは強力です。ですが、世間のプログラマーはLispを必要とするような難しい問題を相手にしてはいないのです。
プログラミング人口の少なくない比率が産業プログラマで、そこではいまだにウォーターフォールモデルがまかり通っています。基本設計・詳細設計・コーディングのような役割分担でプログラミングしている組織に、Lispの威力が発揮できるような「複雑な問題」は手に負えないはずです。そういう組織は前例のない課題に取り組もうとしないので、Lispが活躍するまでもないのです。
たとえば、COBOLで書かれた業務アプリをLispで書き換えることは可能ですが、そうするメリットって何でしょう?マクロを駆使してCOBOLで書かれていたときより保守性の高いコードにすることは可能かも知れません。しかし、そのコストダウンないし品質向上って「見積もり可能」なものでしょうか。(そもそも既存のシステムを完全に書き換えるようなミッションの場合、規模的に大人数で開発せざるを得ないので、プログラマの確保が難しいLispは選択肢に入らないのですが。)
Martin Fowlerがいうように「生産性は計測不能」だとしても、マネージャーが経営陣にLispを選択することを説得できる材料はないと思います。
もしかすると、大脳のブロック(あるのかそんなの?)間でも妙なオプティマイズオプションが…って思ってしまうんだよな。
今、「目の前にしている問題」とそれを「解決する手段」は「問題を把握する人」と「問題を解決する人」に依存する。
メンテナンスし続けられる環境が構築できなくなった時点でその環境は終了。
道具探しって「新しい問題を探しつづける数学者」のようだな。